お尻を追いかけてばかり

ある歌によると、
人生とは、三歩歩いて二歩下がるようなものだそうだ。
なるほど、そうか。そうなのか。
焦らなくてもいい。ゆっくり、それでも確実に進んでいける。
のんびりやっていけばいいじゃないか。
そう思わせるだけの何かが、あの歌にはある。
・・よね?

だから、きっと、ぼくと同じような人間がいるはずなんだと思う。
そう、実際に、三歩歩いて二歩下がって歩いたことがある人がいる。
・・よね?

  • -

ぼくの研究室は、下宿から自転車で5分、歩いて15分のところにある。
冬のある晩、比較的いつもどおりの時間を研究室で過ごしたぼくは、22時頃ふと思い立って、今日は歩いて帰ろうと思った。
なんとなく気分のいい夜だったし、星が綺麗だったし、満月だったせいかもしれないし、少し寒くて日課のランニングもサボりがちで、運動不足のお腹が座ってるときにベルトに乗っているのが気になったせいかもしれない。

ともかく、ぼくはイヤホンを差して、青いリュックを背に、研究室を出る。
そして階段を小気味良いリズムで降りているとき、ぼくは、運命を聞く。
イヤホンから流れてきた曲。
365歩のマーチ」。
なんかどうしようもなく体がむずむずしてきて、とても楽しい気分になってしまって、ぼくは、スキップしながら歩き出した。


歩きだした。
そのときに、少しでも計算していたら、多分、あんなことにはならなかったはずなのに。


ところで、
三歩歩いて二歩下がる。
この字面だけみて、どのような運動を思い浮かべるのだろう?
歌フィルタを掛けてみれば、きっと、誰しもが同じ光景を思い浮かべるはずだと思う。
すなわち、普通に歩いている人が、突然前を向いたまま後ろに足を出す様で、わざわざ後ろに向き直して二歩歩くことなどは想像だにしていないはずだ。
なぜなら、後者はただ迷ってうろうろしてるだけだからだ。
これじゃ「三歩歩いて振りかって二歩歩く」だ。
それになにより、この歌はポジティブ、前向きな歌なのだから。


さて、ぼくもこの考えに従って前を向いたたまま「三歩歩いて二歩下がる」を繰り返す。繰り返す。
この「三歩歩いて二歩下がる」、簡単そうに聞こえるけれど、これが実は、やってみると思いのほか難しい。
ダンスのステップみたいで、ちょっとしたリズム感が要求されるし、ぼくにはそのリズム感が決定的に欠けている。
また、三歩目を歩くときには次の下がりの一歩のために若干腰だめにしたような歩き方になる。そうでなければつい前に進んでしまうのだ。


そうした独特の難しさゆえか、しばらくは楽しんでいたぼくも、15分経って研究室のある大学の敷地から出れていないことにようやく愕然とする。
こ、これでは家に帰れない・・・っ!

それでもやり始めた以上、引くことはできない。
自分ルールとはそうしたもので、他のどんなルールよりも恐ろしい拘束力を持つ。
時として社会的人道的ルールよりも尊重されるのだ。


月と星がぼくにスポットライトを当ててくれているのだ
と思うことでようやく心の平静を得てぼくは、足を前に後ろに進める。

が、やはり、校門が遠い。
なんだこれは。
イヤホンからはとっくに別のポップスが流れているし、ぼくの額からは滝のような汗が流れているし、背中には冷たい汗が流れる。

それでも、確かに、わずかながら、進んでいる。
なるほど・・あの歌は、実際にやってみないと本当のところはわからない。
どんなに果てしなく見える目的地でも、決して届かない、もう絶対無理、そう思っても、諦めてはならない。
こつこつ、にじり寄るように、苦渋を胸に秘め、それでも前に進め、
そう言っているのだ。

そしてそんなことを実感できている人間は少ないはずだ、と自己陶酔に浸ることでなんとか足を運ぶ。

ようやく半分来た、と実感できるころには、学校を出てから40分もの時間が経過していた。
おいおい!!
二歩下がるって、尋常じゃない!!尋常じゃないよ!!
そんなに戻ってられないよ!!
振り返っちゃダメ!過去はもう戻らないんだから!!
そんなふうに思いながら歩くぼくの姿を、誰にも見られなくてよかった、と今では心から思う。


そうか・・
どんなに近くに見える目標も、実は果てしない努力を必要とするのだな・・
なんてニヒルに笑うことでしか自意識を保つことができなくなりながら、ぼくは足をまえまえまえ、うしろうしろと繰り返す。

そうしてもはや足が別の、そうした歩行を行う機械に思える頃、ぼくは下宿にたどり着いた。


1時間半の、長い長い旅が終わった。

単純計算では5倍、つまり65分のはずだけれど、おそらく一度止まるステップに思わぬほど時間が取られたのだと思う。


言葉尻を捉えて遊んではいけないな、と、そう気づかせてくれた。