くものゆくえ

なつやすみなのにがっこう

このあいだ、名古屋で天文夏の学校が開かれた。日本中の天文を志す・志した・興味を持った修士・博士たちが一同に介し、親交を深めながらそれぞれの研究と人生とについて語る場である。
ちょうど40回目となる今回の夏の学校は、事務局長の哲学に溢れる素晴らしい場であった。僕たち二回生は一回生のオブザーバとして、また自らの研鑽の場として参加した。去年のことを懐かしく思い返しながら、成長のない自分を省みて、ぼくと同様多くの人が焦りの汗を流したことと思う。

星間現象の座長としてそれなりにお仕事をして、またその結果としての講演者(修士・博士たち)の発表を聞いて、惑星の研究について耳の年齢を増やし、夜は久々に会う友と語らい、また新しい知己を増やしたぼくにとって、そうした4日間は非常に充実したものだった。

なつのりこれくしょん

その帰り。
ぼくたちは、浜名湖へ向かった。
とにかく何か思い出と名の付く将来振り返って眺めるためのコレクションが欲しかったのと、うなぎが食べたかったからだ。うなぎの話だけで400字詰原稿用紙を10枚は用意したいところだけれど、今回の主題はそれではない。
うなぎへと至る道の途中、僕らは浜名湖近くの展望台に寄った。
浜名湖を一望できる展望台で、下の階は手作りオルゴールなど、夏休みっぽさ溢れるものたちで溢れていた。
100円を入れると喋り出す双眼鏡を尻目に、ぼくたちは各々思うように湖を眺めていた。
ふと、ぼくは雲の底面が平たいこと、高さが一様に見えることに気づいた。

雲の不思議

「雲の底の高さが同じなのはなぜでしょう」

と、ぼくは思うままに呟いた。にしては少々大きな音量だったけれど、ともかく、ぼくの親愛なる友人たちはこの問題に興味を惹かれてくれたようだった。
そして、しばらくの沈黙。
思考の時間。至高の時間。
しかし、一様に答えを得られることはなかったようで、ぼくに期待の目を向けてくる。
しばらくの沈黙。
試行の時間。失効の時間。
往々にしてぼくにありがちなことだけど、ぼくが言ったことにぼく自身が答えを用意していないことは少なくない。
今回も例に漏れない呟き、にしては皆に聞こえる音量の、だったけれど、ともかく、ぼくは答えを持ち合わせてはいなかった。

雲ができる仕組み

今、そのときの友人の意見、また、twitter上での得難い意見を合わせて考えてみるに、雲の生成には以下のような過程があるのではないかと思う。


上昇気流に乗って、湿気を含む空気が上層に向かう。高さに従って温度が下がる中、ある点で、空気中の水分が結露する。
すると、その水滴は自重によって気流に対して下降を始める。やがて上昇気流に対して終端速度に達するが、実はそれは地表からみて0 cm/sとなっていて、雲の底面をなす。


雨が降るのは、雲の厚い領域だとすれば、(おそらくそうだと思われる)
凝固点と雲の底面に大きな厚みがあるということになる。
これは水滴の成長を助け、やがて上昇気流によって支えきれなくなった水滴が落ちるのだと考えられる。


と、そのようなことを考えた。

このようなモデルを、数値計算でテストできないだろうか。
だれかやってくれないだろうか。
それとももうやられてしまっているだろうか。

その前に、オーダーで見積りをすべきだと、ぼくの頭の中で誰かが言っている。