科学と社会と戦争と

最後のは益川さんの「私の履歴書」(新聞に連載されてたやつ)を読んで影響されてるだけなので置いといて。

事業仕分けで様々な分野の研究費が減額されてしまって僕の周りも大変なようだけど、そこで思うことを少しだけ書いておくのも、振り返ればきっといい思い出になると思う。(というか、なってくれ!)

お金がないなら、科学・人文・芸術についてのお金が減らされるのは止むおえない。

という考え方がある。らしい。
歴史を振り返ってみれば生活が安定していくにつれてこれらは発展してきたのだから、以前なら、これはありきで議論すべき考え方だと確かに思う。
ただ、少なくとも科学についてだけは、もはや時代が違うのだと感じる。
現代は科学が停滞していいような時代ではない。はず。
解決すべき問題が山のように(温暖化、ゴミ、エネルギーなど)あるのだし、そのための努力を惜しんでは生活の根幹を揺るがしかねない。
だから科学発展は必要です。

発言力も影響力もなんにもないし、この考え方に自信もないしで散々だけれど、
こんなことを叫んでいるところを夢想したりすることもあります。


でも、実感として、これですっぱりみんなが気持ちよく納得できるかと言われると、どうなんだろう。もっと身近な問題を解決して欲しいと思うのが人情じゃないかとも思うのです。

そこで単純にも思うのは、科学を身近に感じてもらえばいいんじゃないかということです。
それが苦しいときにどれだけ効いてくるファクタか分かりませんが、思いつくのがこれくらいということなので仕方がないんです。
そんな折、タイミングよく、周りでアウトリーチの話が降ってきて、昨日一つ関わったものと今一つ関わっているものがあるのだけれど、そういうものに力を注いでみたいと思っているのです。

どんな手応えが僕に、どんな気持ちが相手にあるのだろうか、すごく興味がある。
もう少し噛んでみたい。という興味の話はしかし今は置いておいて、

これは、科学をみんなに支えてもらってやる上での義務だろうし、そこから得られる、みんなで科学をやるという実感、姿勢は今まさに必要なものだと思う。
そんな風にいい形でみんなが納得し合えるのが理想だけれど、「ま、面白いし、しょうがないか」くらいに、娯楽としてでも、受け入れてもらえるといいなと思う。

宇宙に現代社会の抱える問題に大してどれだけ解決能力があるのかと聞かれると、恥ずかしげに頭を掻きながら、
「地球に住めなくなったときの移住、とか、月のヘリウム3とか。。」
と僕なら言いますが、

これらは決して嘘ではないのです。
僕らの語るのは、夢なんです。

信じろとは言いません。
叶えましょう、と言いたいのです。