今日のつぶやきばかりなのはつまらないでしょう?

最近昼夜を問わず、深い息を吐くと、白い靄が目前に広がるようになった。
靄の消え方はとても潔くて、それでいて情緒深くて、僕はそれにとても好感を持っているのだけれど、その次の瞬間に吸い込む空気は、僕をもっといい気持ちにさせてくれる。
そこらで僕を静かに待っていた空気は、僕の口内から身体の芯へと駆け下りるその間、その冷気を失いながら、喉の側面を冷ややかに撫でていく。喉がけば立つような感覚がする。きゅっという音に触れる。気が奮い立つ。
その視覚と触覚が僕はとても好きで、それだけで、”動きにくい”季節である冬を歓迎できる。よく来た。
最近よく聞く定義の曖昧なものでなく「空気が好き」ということだろう。

ただ、それでも、身軽さを失うことを思えば心が浮き立つほどではないし、心の肥える秋の終わりを笑顔でさよなら、と両手を振って見送ることはできない。
時が経つことに大きな抵抗を感じる。あるいは僕が抵抗なのかも知れないが。
どちらにせよ、その抵抗は冬の”重い”空気も合わさって強い粘性を持って、僕の心を掻き乱す。
その心にできた渦は、不安といってもいいかもしれないし、後悔かも知れないし、もしかしたら叶わぬと決めつけた希望かも知れない。
僕にはうまく言語化することはできないけれど、少なくとも、そこに喜びはない。

時が経つことは、成長であればこそ喜びであり、また、時間進行方向に対しての気持ちのラム・プレッシャが正であればこそ歓迎できるものなのだ。
(逆にいえば、それが正でありさえすれば、それはむしろ、時を、成長を加速させる。ポジティブフィードバック。)

しかしながら、上でも言った通り、僕は時の過ぎゆくことに喜んでなんかない。
ラム・プレッシャは零なんだ。
とすれば、僕の今までやってきたことは、たぶん、やってきたことはあると思うのだけれど、ちょっと自信ないな、時間平面波に対してパラレルで、ラム成分を取っちゃうと消えちゃうものだったのかも知れない。
進むことを考えない努力だったのかも知れない。
粘性がもう少しあれば進行方向に伝わる波もあったかも知れないけれど、今の僕にそれは感じられないし、もしかしたらもう拡散してしまっているのかもしれない。それはきっと、とても潔いはずだから。

とにかくも、時間平面波に対する僕の運動は今、負の向きで、それでも時の流れには逆らえず、ほとんど他の人と見分けのつかないくらいの速さで未来へと流されている。それはとても辛いことだと感じるし、ぐっと胸を握り込まれるような思いを抱えている。

ただ、そこで生まれる希望もあるんじゃないかと思う。
僕は流れの反対方向に力を加え、流れの向きに動いている。
つまり、僕は負の仕事をしているわけだ。
とすれば僕のエネルギーは増えるのだから、いつしか核融合くらいはできるんじゃないかと夢想しながら眠りにつくわけです。


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というわけで物理っぽい単語を並べながら書いてみた。
無理を通しすぎた感もあるけれど、ま、それは御愛嬌。